スキーとバスケ飲み会

◆菅平へスキー
今シーズン初
宗楽波真を連れて
風邪っぴきの利公は留守番


スキーは 好きだ
大学時代にはまった
未だスノーボードが普及していない1980年代、スキー全盛期の頃
ホイ○ョイプロダクション提供の映画の大ヒットと相まって
日本国民の7割はスキーをしていたと云われた時代
そして
ゲレンデに向かう車の8割からユーミンが流れていたと云われた時代
リフト待ち30分はざらで 
芋洗い状態のゲレンデではスキーヤー自身がスラロームの旗門のようだった・・
今では懐かしい思い出だ
スキーに同伴した何番目の女であったか 今ではよく思い出せないけれど
れい子ともよく行ったなぁ‥
知り合った頃は超ビギナーの彼女
一緒に行くからには
バーンを選ばずあっちへこっちへと滑りたくなるのがサガってもんで
猛特訓
高校時代にスパルタ慣れしている彼女は
実に鍛え甲斐のある教え子であった
滑って
リフト上で散々に駄目出しして
また滑って
友達からビデオカメラ借りて撮って
リフト上で見ながらケチつけて講釈垂れて‥
その甲斐あってか
彼女の運動神経のなせる業か 
凄まじい勢いで上達してったな


宗楽が生まれてからも
3人でよく滑りに行った
1歳児の彼女を抱っこして・・
派手にコケて泣かれたり・・
そして利公、波真が生まれ
タツ付きの無料休憩所のあるスキー場を選んで
どちらかが子守して
どちらかが子供と滑って
急斜面は足の間に抱えて滑って・・
2人を抱えて滑り降りることは物理的に不可能なので
上から順に独り立ちしてくれるようにと‥
子供たちが休憩している僅かな時間で
ここぞとばかりに、一人で滑る
母ちゃんと交代で‥
そんな感じで
6人が思い思いに滑るのが、夢なんだけれど
天晴が生まれて以降
上記システムで回すことがだんだんとしんどくなってきて
なにかと週末に行事があったりで
なんと昨シーズンは一度も行かず‥
これはまずいぞ‥


93年をピークにスキー人口が漸減してきた背景には
バブル景気の終焉だったり
『ゲレンデにおけるルックスは下界の3割増し』という事実に皆が気づいてしまったり
『全部嘘さ そんなもんさ‥♪ 』とリゾートロマンスの欺瞞が歌われちゃったり
単に寒いからだったり‥
社会学者でもないので勝手に分析してはいけないけれど
自称、ブームに踊らされているわけではないスキーヤーとして
そんな世の時流に乗ってはならないと、信念を持って生きてきたおいら
でも
以前ほどの熱が無くなってきていることを実感するこの頃
若い時分に比べて初速に要するエネルギーが出にくくなってたりもして‥
トシだと言ってしまえばそれまでだけど
そうは言っても
天晴がガンガン滑る頃、親父は50代の当家庭事情
気力が湧かねぇ 体力ねぇ ‥なんて今から言っちゃいけない
ずく出して行動せねばなぁと改めて心に誓い、決行。
先ずは車のキャリアをキャンプ用からスキー用に付け替えて
スキー用具を物置から出して‥
買ったり余所様からお下がり頂いたりで
保有する板やブーツの取り揃えはレンタルスキー屋の如き‥
似たような色のブーツが何足もあるもんだから
右と左を一つ一つ合わせる作業は、さながらトランプの神経衰弱
そして
『今シーズン お前はこれね‥』と
年々にサイズが変わる子供に合わせてブーツを割り当てる作業をして
ようやく準備完了 出発

途中のスポーツ店で宗楽の手袋を購入
『好きなの探してこいや‥』と言ったら
1980円の子供コーナーではなく
大人モノのSサイズを選んできた‥4980円
『ちょっと高いんじゃないの‥?』と却下しかけ
いや‥下の3人に引き継ぐのだからな‥と思い直して承認
減価償却期間が余所様より長い我が家


前フリが長くなってしまったけれど
これより本題
菅平は寒かった‥雪も降り‥
手が冷たいと泣く波真
見れば手袋の継ぎ目が解れている
お下がりのお下がり‥天晴までは無理か‥?



◆会社バスケ部の飲み会
佐久平駅前にて
先日、数年ぶりに集まったバスケ部
http://d.hatena.ne.jp/ten-sei/20120108

今では仕事での付き合いがメインの面々
日頃は互いの立場で喧々諤々と意見を戦わせている仲
飲みの席でも仕事の話になる

そしたら
『今年はもっとバスケしようぜ‥』って話が誰ともなく出て
『そうだそうだ‥』って盛り上がり
さらに
近所のジャスコに買い物に来ていた総務部の有紀ちゃんが無理矢理合流させられ
無理矢理にマネージャー就任
活動再開なるか‥?


カラオケボックス


(新マネージャーの有紀ちゃん)

(その手はなんだ‥?)

(熱唱する桜井ヒデキ 大学も会社も同期 すっかりオヤジ化)