野沢南高三送会

すたみな太郎で開催された三送会(三年生を送る会のことらしい)に参加。
1年生から3年生まで、たけるを除く全部員が集まる。
唯一の受験生となってしまったたけるは、
皆に気を遣わせるのも申し訳ないとの配慮により、
その時間、社会人チームでバスケしていた。
いじらしいな・・
他のメンバーは全員、進学が決定している南高。
おいらの高校時代、バスケ部員10人で現役合格は3人だったことからすると、
この状況は驚きだ。
元来、誰憚ることなく生きている彼らが、
高校生以上、大学生未満の立場にあれば、
その乱痴気ぶりは想像に難くなく、
入店するやいなや、店員さんに釘を刺されていた。
そして例によって、
生クリームに醤油やキムチを入れて人に食べさせては盛り上がる。
おそらく今しか出来ない戯れに、正直羨ましく思ったりも・・・
そして例によって、
店員さんに叱られる。
41歳になって店員さんに叱られるとは・・・
良い経験をさせてもらった。



(マネは皆、しっかり者だ)


(3年生一人一人に手紙を渡す亜耶ちゃん)

(アイスでちんちん作る…食べ物は大事にしような…)


(若いって、いいなぁ…)


この子達と、こうして体育館の外で集うのもおそらく最後。
いい思い出はたくさんあるけれど、
後々まで残るのは、
『あの時こうしとけば良かった・・』という後悔の念ばかり。

その一つは、
スティンガーズと対戦させて、
勝ったら焼肉食べ放題と事あるごとに約束したにも関わらず、
ようやく最後の練習試合で引き分けて、すたみな太郎で食べ放題して、
結局彼らに払わせてしまったこと。
何かのきっかけに当時を思い出しては、
心がチクリと痛んだりもする。
そんなことを終生引きずって過ごすくらいなら、
払うもの払ってすっきりした方がよほどにマシである。
その借りを返す機会を与えられて、
スッキリ出来た。


そして、最たる悔いといえば、
県大会2回戦の赤穂高に3点差で負けた試合。
あれは勝てたわ。。。
負けたのは、ヒャクパーセントおいらの責任。
今でもたまに振り返っては、しょぼくれる。
出来ることなら、もう一度あの場面に戻ってやり直したいけど、
そりゃ無理な相談ってもんで、
お金払って済むような単純なことでもなく、
気持ちの持って行き場に困ったりもする。
自分の未熟さを思い知った点においては、
あの敗戦は十分に意味のある出来事であり、
大げさでなく、
その後のおいらの生き様に与えた影響は計り知れない。
なので、
おいらの人生のシナリオにおいては、
あの負けは必然だったのだろう。
でも、
彼らの人生にとっては・・?という見方をすれば、
ごめんなさいとしか言いようがない。
願わくば、
あの敗戦から彼らなりに感じた想いや悔しさを持って、
この先もバスケを続けて欲しいと思うばかりだ。


病気で死を待つ人々に、聞き取り調査をした人がいるそうだ。
(すごいことするもんだ・・・)
『あなたの人生で後悔したことは何ですか?』
その結果は・・・
自分のしたことを後悔する人はなく、
皆一様に、しなかったことを後悔していたそうだ。
あの人に自分の気持ちを伝えておけばよかった・・・とか。
これは、大きな教訓である。
県大会については、
した事含めての後悔だけどね。。。