100%幸せな1%の人々

運動会のリレー選手選考
先週の利公に引き続き、波真もクラス代表となる。
本人曰くは、『私がクラスでトップ・・』 
本当かどうかはともかくとして・・ここまではてっぱん 織り込み済みである。


で、問題の長女はというと・・・
決勝2本目も、順位は変わらず3位で、補欠。
残念だけれど、本人もある程度は覚悟していたよう・・
代表入りが厳しい状況の宗楽に対して
走る前から既に結果が決まっている雰囲気の妹二人。
その通りにあっさり決まった利公から
『宗楽ちゃん頑張れ〜』と励まされる、日頃見慣れぬシチュエーションに
勝気な長女としては複雑な心境があったろうけれど
この結果を現実と受けとめて、これから歩いていこう。
きっと後に生きる経験だ。
何より、補欠も立派な役割の一つなのだ。
バスケだってスタメン5人いればいいってもんじゃない。


・・・なんて結果に対してなんとか前向きの解釈をしようとするのだけど
なんだかんだで、我が子の成功に期待している親バ○。
閉店間際のジャスコで靴を買ってやるのも
親心なのか、ただ本人に重荷を背負わせているだけなのか・・・
リレー決め本番の前夜
『眠れない・・』とおいらの寝室にやって来たのは夜中の3時
それから5時まで居間で本を読んでいた。
こんなことは初めてだ・・
負けん気は強いが気は弱い・・・
この一見矛盾する資質は父親譲りかもしれない。

何でもある程度はそつなくこなしてしまう我が子に
いつしか出来て当たり前と期待してしまう親ば○が
己の傲慢さを恥じるのは、座右の書の一節を読んだとき

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私は30歳で結婚したのですが、なかなか子供に恵まれず、3年後、ようやく長女が誕生しました。ところが、待ち望んだその子は知的障がい児だったのです。
染色体に異常があり、彼女の知能は永久に発達することはありません。医師からそのことを告げられたときは、ショックで目の前が真っ白になりました。
私はしばらく、知的障がいを抱えた娘を受け入れることができませんでした。しかし、半年ほど経ったとき、「新生児の600人に1人は障がい児として生まれる」と書かれた新聞のコラムが目に留まり、その記事を読んだ私はこう思うようになったのです。
「他の家に生まれるより、小林家に生まれてきてよかったね。普通に、温かく迎えてあげられるから。私は今日まで、まるで被害者のように思っていたけれど、娘の立場で考えれば、娘はとてもいい選択をしたと思う。きっと、彼女は、いじめられなようによい親を捜して、その結果、私たち夫婦を選んでくれたんだね」
そう思った瞬間、私は彼女を受け入れることができました。そして今日まで、彼女を通してたくさんのことを学ぶことができたのです。


彼女が小学校6年生のときのことです。運動会の徒競走がありました。彼女は普通の子供よりも筋力がないので、いつもビリ。
でも、その年は足を捻挫した友だちがいたため、
「もしかしたら、はじめてビリじゃなくなるかもしれない」と妻は喜んでいました。
結果は・・・ 娘はまたしてもビリでした。ところが妻は残念がることもなく、それどころかニコニコと嬉しそうでした。
娘は、捻挫をしている友だちを気にかけながら、心配そうに、振り返り振り返り、走り続けたそうです。
足をかばいながら走っていた友だちがころんでしまうと、娘は友だちのところに駆け寄り、手を引き、一緒に走り始めたというのです。2人の姿を見て、生徒も、父兄も、2人に大きな声援を送りました。
そして、ゴール前まできたとき、娘は、その子の肩をぽんと押して、その子を先にゴールさせたというのです。

この話を聞いたとき、私は気がつきました。
人間が生きる目標というのは、競争したり、他人を蹴落として一番になったりすることではなく、「喜ばれる存在」になることである。
そして、娘は、そのことを教えてくれるために、私たち夫婦の子どもになったのだ、と。

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読む度にこみ上げるもの、あり。
この子の精神性の高さに驚くとともに
我が子に過剰に期待する自分の浅ましさに悲しくなったりもする。
まだまだ親として未熟な42歳である。